3.11

東日本大震災から9年…
お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。

.

あのとき私は滋賀県のとある企業で輸出入関係の仕事をしていました。
東京の取引先様と電話で会話をしている最中でした。

「あ、あれ??」

突然、何か電話の向こうで戸惑っている様子。

「え?地震??いやまて!え!!!ちょ、ちょっとこれはやばい!!!」

.
突然、電話が切れました。
何が起きたかわからない私はすぐに上司に報告。
その途中で滋賀でもガタガタと建物が揺れ始めました。
.
明らかにおかしいその揺れ。幸い、丈夫な建物でしたので机の下に隠れるだけで、ひどい被害はありませんでした。

.

しかし、それはとんでもないことの始まりでした。

.

全くつながらない東京への電話。

何がどうなっているのか、これが現実なのかわからない状況。
会社でできたのはPCから「関東でとんでもない規模の地震が起きた」という情報を得ることだけ。

.

帰ってからテレビで見た状況は、到底現実とは思えない状況でした。
だから、わからない、だから、感じ取れない。なにか映画を見ているようでした。

今この日本で起こっている事が、まったく理解できませんでした。
津波…
原発事故…

大切な町が、大切な暮らしが、そして大切な大切な命が
一瞬で奪われていきました。
.
.

何が起きたかわからないなかで、翌日も仕事に向かうのですが
本部が東京にあったので業務が全くできませんでした。
.
そのころの東京本部の状況は、電話がつながらない、電気が止まってる、電車も止まってる、ガソリンも入れられない。
社員さんの状況は、出社できない、子どもたちが学校へ行けない、コンビニ、スーパーも営業していない、会社から旦那様がかえって来ていない…
.

ありえないことが、ありえてしまった…だから誰も対応できない。

そんな状況でした。
.

こんな私の体験なんて大したことないです。この何倍も何倍も大変な思いをされ、今もなお大変な方はたくさんいらっしゃいます。

.

だから、今のわたしにできることはなんだろうと「今」考えています。

大変な思いをされながらも、強く立ち直り前向きに生きる方たちの想いや学びを活かさなくてはなりません。

.
せめて私ができること、それが防災備蓄収納を広める事だと思っています。

収納を得意とし、収納をさらに学び、防災備蓄を学び…
得意なパソコンと得意なお話で伝える…それなら私にでもできると。

.

災害を止める事はできません。だけどまだできることはあると信じ、ひたすらに頑張っていこうと思います。




>「防災備蓄」は「安心・安全」をつくります

「防災備蓄」は「安心・安全」をつくります

~命をまもる防災備蓄を各家庭から。そして地域へ。備蓄が当たり前の世の中へ~